#16 英語を公用語化するなら移民政策しかない
教育改革が無意味なわけではない
前回の投稿で、 日本人が英語を話せない理由は、日常のコミュニケーションにおいて英語がまったく必要ないから、と述べました。
そして、教育でこの問題を解決しようとしている限りは、日本人はいつまでたっても英語を話せるようにはならない、とも書きました。
ただ、誤解のないように補足をしておくと、教育の改革が無意味な訳ではありません。
実際、文部科学省や慶応義塾大学などの動きに対しては個人的に問題の解決に一定の貢献を期待しています。
教育だけでは不十分
私が主張したいのは、教育だけでは不十分だということです。
その理由は、すでに述べたとおり、学校で授業を受けている時間は限られていることと、学校を卒業した後も英語を使う機会がなければ次第に衰えてしまうことです。
つまり、「日常生活にどのように英語を浸透させるか」を考えなければなりません。
英語でのコミュニケーションを強制すると・・・
すぐ思いつく策としては、楽天やファーストリテイリングのような英語での社内コミュニケーションを、社会全体に強制することです。
これらの一部のグローバル企業では実際にメリットも出ているようですが、
しかし、これには社会全体に膨大なスイッチングコストがかかりますし、日本語をはじめとする日本文化の衰退も懸念されるのは想像に難くないと思います。
つまり、今の状態のまま英語でのコミュニケーションを必要以上に日本人に強いることは、デメリットの方が大きいわけです。日本語でうまく回っている今の社会システムをみすみす壊す必要はありません。
このため、日本語をベースとしたコミュニケーションは維持したまま、英語の入る余地を少しずつ増やしていく必要があります。
移民政策で解決
私の考える解決策は、「移民政策の導入」です。
移民政策を導入する主な目的は、労働力人口の減少に歯止めをかけ、経済を活性化させることにあります。
嬉しいことに日本は外国人に非常に人気のある国ですが、我々の母国語である日本語は世界70億人のうち1.2億人しか使っていない超マイナーな言語であるばかりでなく、その習得の難しさでも有名です。
「日本語ってどうしてあんなに難しいの?英語だけでコミュニケーションができるのなら絶対日本に来るのに・・・」
という人を何人も知っています。
「移民政策の導入」と「英語の公用語化」を同時に実現することで、日本人と移民の双方にメリットが出るはずです。
移民政策自体にも議論の余地はあるが、これしかない
日本語だけで全てがうまく回っている今の日本の状況を考えると、単に英語でのコミュニケーションを社会に導入するだけでは、デメリットしかないことは明白です。だから今まで英語が普及してこなかった。
なので、ここでは移民政策という一見関係のない政策の導入によって間接的に英語でのコミュニケーションが発生する素地を作ることで解決すべき、というのが私の今の考え方です。
もちろん移民政策自体にもデメリットはあるのは理解しており、犯罪率の上昇などの懸念に対して一定の規制は必要だと考えていますが、日本を英語の通じる国にしたいのであれば、これが唯一にして最善の策だと思います。
あるいは、このまま人口減少によるマーケットの縮小を受け入れて、海外で働かざるを得ない状況に陥れば、みんな英語を話せるようになるかもしれません。皮肉なようですが。